2012年10月28日
現状を脱却し会社を変える方法
先日、雑誌PRESIDENTでおなじみのプレジデント社の藤原昭広
元編集長(株式会社プレジデント社取締役)の講演を聞く機会が
ありました。
藤原さんと言えば、編集長時代にプレジデント誌の発行を月1回
から2回へ変更し、誌面の大幅な刷新をはかられるなど、
廃刊が相次ぎ、雑誌の売り上げが軒並み落ち込むなかで、毎年
10数%以上の伸びを確保し続けるメディアへと生まれ変わらせ、
看板誌であるプレジデント誌をコアとする事業の改革を成し遂げた
方です。
そんな事業の改革のプロセスの真相を「活路を拓く「知恵の出し方」
というテーマでお話しして下さいました。
内容の全てをぶちまけるわけにはいきませんが、事業の変革、
あるいは経営者やリーダーがイノベーションを起こすいくつかの
要因について、一部書いてみたいと思います。
(なお、藤原さんより許可はいただいてます)
これからの時代は「情報」を「知恵」に変え、「行動」にかえることが
ポイントになるのですが、その変革を妨げるのが
慣性・・・私はむしろ惰性と言いきってますが・・・と手段が目的化
することだそうです。
そこでまずは目的を再定義、設定を行わなければならないのです。
そのうえで、経営者の覚悟としては過去のしがらみを捨てきることが
できるかということです。
いわゆる「過去の成功体験」に執着しているところからの脱却です。
変化を嫌いがちな日本人ですが、特に高度経済成長時代やバブル
を経験してきた経営者によくみられることだと私も思ってます。
そんな経験など(講演内容を省略しますが)も、経営者や管理者一人で
実現できるものではありません。再設定した目的の実現に向け
ひたすら小さな成功体験を部下とともに共有し、部下との対話を続けて
いくことで少しずつ変わっていくのです。
そんな変革の瞬間が藤原さんにありました。
編集長時代に決算書とにらめっこしながら思いついたのはプレジデント
の発行を1回から2回にすることで固定費(特に人件費)は半分になると
の発想から始まり、その実現に向け、動き出したのですが、ぶち当たった
壁が外注先の選定でした。
これまでの長い付き合いでずっと1社の外注先で進められてきた雑誌
プレジデントだったのですが、これを相見積もりを取ることを藤原さんは
決断したのです。
その結果、別の1社から出てきた見積もりは・・・
元々の外注先が提示している額の半分でした。普通なら即、外注先変更
となるでしょう。
しかし、この業界で生きる編集者にとってある外注に関し、取引先をかえる
ということはとてつもないしがらみからの脱却ともいえるものでした。
さらにそれに加え、当時の社長のご子息がその外注先へお勤めされていた
現実もあったのです。
編集長である藤原さんは社長へ直談判。
その結果、その外注に関しては別の外注先に決定したのでした。
社長への直談判の内容も説得力あるものでしたが(すいませんここでは
伏せさせていただきます)、この後、変革の力が大きく動いたのです。
組織には2-6-2の法則があるといわれてます。その法則はプレジデント社にも
当てはまっていました。
それは
2:藤原編集長の変革についていく人
6:とりあえず様子を見ている人
2:藤原編集長の変革に否定的な人
この外注先変更を実行したのち、6に相当する人たちが変革の動きに
追随してきたのでした。その結果、毎年10数%以上の伸びを確保し続け、
事業の改革に成功したのでした。
経営者や管理者といったリーダーが変革を起こすためのポイントが
あるとすれば、それは
自ら決めたことをひたすら実現させようとする熱意とその行動
だと思います。私の先輩の言葉を借りれば「言行一致」そのものだと
思います。
たくさん伏せたところがありましたが、本当に藤原さんのお話には
経験に基づく多くの学びがありました。
ちなみに増収増益企業の時間の使い方には5-3-1の法則があるそうです。
その話はまたいずれ。
2012年10月23日
自分を見つめ直すいい機会
株式会社ローバー都市建築事務所~最終回
(第1回の記事は こちら )
(第2回の記事は こちら )
事業の中でも見けられる京都の町家に対しての思いについて
教えください
京都が好きなんです。西陣で生まれ育って、昔の活気ある西陣は
織機の音で囲まれていた町だったんです
時がたって、京都へ帰ってくると風景は同じでも、音が止んでいた
んです。なぜなのかと考えると、和装離れなんですよね。
そんなことから、我々の仕事を通じてお役にたてることはないかな
と思ったのが町家だったんですね。
町家というのは太平洋戦争まで脈々と受け継がれ、知恵が詰まって、
どんどん進化してきた建物なんですけど、戦後の欧米化の波が押し
寄せて町家の流れが止まってしまったのです。
しかし、昔の人々が考え抜いた住宅、住み方、暮らし方という知恵は
今でも生かせるのではないかと思うのです。
ですので、必ずしも町家を残すとかつぶしたらダメという運動ではなく、
イズム,理念を現代にバトンを渡していくというような想いで町家という
のをとりあげています。
日本の良さがあって止まってしまったものを忘れないように今の時代
に伝えようと思うんです。
倫理法人会の魅力について教えてください
丸山先生の考えられたことがいつの時代でも学べるというのが
魅力ですね。あとはいろんな方のお話し、出会いを通じて自分
に対する気づきがありますよね
異業種の方々がたくさんいらっしゃいますので、折に触れて自分
を見つめ直す機会があるかなと思います
特に自分で事業をしていると自分を映す鏡がないですからね。
そういう部分では自分の軸を見つけ出すことができるのではない
でしょうかね
京都で生まれ育った野村さんからお勧めの京都は?
京都というものにひらめいたのは京都迎賓館の建設なんですね。
京都迎賓館は京都の伝統と技、知恵を集結して建てられているん
です。それまであまり知らなかったのですが、京都といのはそう
いうのがたくさんあるんです。
伝統工芸から職人さんから、例えばデザインとかそれを世界中から
みんな飛行機に乗って見に来られているんです。僕らはそれを見る
のに自転車で10分圏内にある。でも、それを全然知らないし活かし
きれてないし、ヨーロッパのほうが良いとか思ってたりしてますけど
そこを見つめ直す大きなきっかけになったのが京都迎賓館なのです。
そういう目で見ると、京都市内にはたくさんのススメであったり、いい
場所と言うのはたくさんあるんですね。寺社仏閣をはじめ新しいもの
古いものを問わずありますよね
そんな中で強いて京都の場所を挙げるのなら、私たちが手掛けさせ
ていただいた物件がある石塀小路というエリアです。
そこで大きな和風旅館をさせていただきました
そこはまさに京都の伝統と現代が融合してできた建物になります
京都散策の折にはぜひその旅館に行って、ご覧いただきたいですね。
いつもおしゃれな雰囲気を醸し出している野村さん、
京都への思い、特に日常生活での古き良きものを
社会やお客様にお役に立つことを通じて大切に、
そして後世に残していきたいという強い思いを
ひしひしと感じました。
野村幹事ありがとうございました!
2012年10月21日
嫁いだ娘を思った時、気づいたこととは
先日娘が結婚いたしました。
花嫁の父は寂しいとか式の時泣くとか言われているけれど
私は式のあいだ全くそのような感情になることは
ありませんでした。
でも式が終わり家に帰って着替えをすました時
なぜか急に寂しさが湧き心の中に空洞ができたような
感覚になりました。
しばらくそのままでいると
「俺はずっとお前のことを見てたんや、手を出したり口に
出したりしいひんかったけどずっと見てたんや、
どんな些細なことも見逃さんようにそしらぬ顔で
ずっと見てたんや、誰よりも一番真剣にお前のことを見てたんや」
と心の中で呟いていました。
言葉で表すと、ずっと見守っていたものがそこにいなくなった
という感じが一番近いです。
そして一時間ほど一人部屋でぼぉ~としていると、
ふとおやじもおふくろもこんな気持ちで自分のことを見守って
いてくれたのだ、親というものは常に子どもを見守っている
ものなのだと改めて気づきました。
今、親という立場と同時に子という立場にあります。
正直なところ親に対する感謝より娘を思う気持ちが勝っています。
それでも私の母は私のことを見守っていると思います。
今の私にはそのことがよくわかります。
ほんとうにありがたいことです。
私はこれからも娘のことは遠くから見守っていきます、
でも母に対してはもっと感謝の気持ちを形に表したいと思います。
今はまだどのような事が良いのか解かりませんが
まずもっと会話をすることから始めます。
私は長年愛とはなんだろうとずっとわからずに来ました、
でも今回の出来事でもしかしたら愛とは、寄り添うことや
関心を寄せることではないだろうかと強く感じました。
2012年10月19日
自己革新
昨日の京都市中央倫理法人会第562回モーニングセミナー
でした。モーニングセミナーは以前にも紹介しましたが、
開催前に役員朝礼というのが5時半からあります。
5時ころからモーニングセミナー担当の役員が会場設営を
して、5時半から役員だけの朝礼が開催されます。
挨拶の練習やモーニングセミナーの設営担当の確認、
役員への連絡事項等が行われます。
昨日は役員として初めて(?!)役員朝礼に参加
しました。挨拶の練習ではお辞儀の角度、タイミングを
役員全員で合わせることをしてました。
そんな役員朝礼がおわると会員のお迎えになります。

この時間が緊張と緊張の合間であり、

緩やかな交流や

講師への挨拶などがかわされます。

そして昨日の講話は 社団法人倫理研究所 法人局
普及事業部 近畿方面 与縄 智久 副方面長の講話でした。

テーマは自己革新。
内容は伏せますが、様々な事例を交えてわかりやすく、
お話ししてくださり、会員の皆さんも心地いい緊張感を
保ちつつ、講話に聞き入っておられました。
でした。モーニングセミナーは以前にも紹介しましたが、
開催前に役員朝礼というのが5時半からあります。
5時ころからモーニングセミナー担当の役員が会場設営を
して、5時半から役員だけの朝礼が開催されます。
挨拶の練習やモーニングセミナーの設営担当の確認、
役員への連絡事項等が行われます。
昨日は役員として初めて(?!)役員朝礼に参加
しました。挨拶の練習ではお辞儀の角度、タイミングを
役員全員で合わせることをしてました。
そんな役員朝礼がおわると会員のお迎えになります。
この時間が緊張と緊張の合間であり、
緩やかな交流や
講師への挨拶などがかわされます。
そして昨日の講話は 社団法人倫理研究所 法人局
普及事業部 近畿方面 与縄 智久 副方面長の講話でした。
テーマは自己革新。
内容は伏せますが、様々な事例を交えてわかりやすく、
お話ししてくださり、会員の皆さんも心地いい緊張感を
保ちつつ、講話に聞き入っておられました。
2012年10月17日
名刺を交わした瞬間に仕事を依頼された不思議なご縁
株式会社ローバー都市建築事務所~第2回
(第1回の記事は こちら )
~倫理法人会入会のきっかけを教えてください~
4年くらい前に倫理法人会会員の
谷口容造さん(株式会社たにぐち 嘉楽本舗たにぐち)のご紹介
で入会させてもらいました。
谷口さんとはもともと商工会議所でお会いしまして、(会社の)100
周年事業にちなんで社屋を改装したいので設計監理をお願いでき
ないかというのがそもそもの出会いです。
僕も長年この仕事をしてますけど、谷口さんは名刺を交わした瞬間に
仕事を依頼された初めてのクライアントなんですよ(笑)
普通は2,3回会ったりとか、名刺交わしてから電話をかけてきたり
という風な話だと思うのですが、その場で頼まれて、
「明日行きますわ」
から、あれよあれよ進んだ方で、不思議なご縁でした。お互い何か
通じる部分があったのかなと思います。
100周年を無事迎えられたあとに、谷口さんから、
「実は倫理法人会という会があって、そこで朝に勉強会をやって
いるからこないか」
ということでお誘いいただきました。
私もそういう自己啓発とか理念を勉強するのが好きで勉強会とか
参加してましたから、(モーニングセミナーへ)行ったその日に
「入会させていただきます」
ということで入会させていただきました。
~倫理法人会についてどのように思いますか~
早朝に歌うたったり、唱和したりというのは慣れてまして、一般の
方なら、宗教っぽいとかというような感じになるのかもしれません。
しかし、ボーイスカウトもそういう団体だったので、朝からきっちりと
朝礼をして大きな声で元気よく朝を迎えるという風なことから始まり、
礼儀と親切とか慎み深くとかいろんなことがありますが、そういう
素養は小学校2年からありましたので、別にいい会だなというのが
率直な感想でした。
最近、朝は行けてないのですが、もっと倫理法人会をきちんと理解
してもらって良い会だという認識をしていただいて帰っていただける
方が増えればいいなと思ってます。
会員拡大については僕はそんなに無理して目指さなくていいのかな
と思ってます。みんなが入りたい、入れてもらいたい、敷居が高いと
いうくらいの会になるのが本当の姿かなと思ってます。
~倫理法人会で得た気づきや学びについて~
一番良かったのは富士研です。それも入って1年くらいで安井義幸
会長(当時)と食事していた時、
「富士の研修があるからいかへんか」
と言われました。僕は富士研の建物は有名な建築家隈 研吾氏が
建てた建物なので見たかったんですね。そして二つ返事で
「行きますわ」
その時は建物が見たいという動機が半分くらいあったんですけど、
行ってしまうと、そんな建物見る暇もなく軍隊みたいな生活(笑)を
させていただきました。
その中で学んだことは2つありました
ひとつは「親・先祖・家族を大事にする」
これは本当に気づきましたね。だから、それから神棚にもテプラで
貼って、拝んだりしています
あとは「過去を捨てる」
ということを学びましたね
僕は両親が離婚して母子家庭とかあったので、それをずっと
コンプレックスに思ったり、ほんまやったらこんな人生と違った
のになあ、とかいろいろ思ったりもしていたのですけども、富士
研を受けてである意味ふっきれました。この二つは本当に行って
よかったなという風に思いますね。
~倫理法人会で得たことを事業に活かした経験~
お客様の喜びが私たちの喜びというようなことと人間として大事な
ことを社員であったり、自分も含めて再確認することによって事業
にすごく役に立ってると思いますね
【京都の魅力については 第3回へ つづく】
株式会社ローバー都市建築事務所
http://www.rover-archi.com/
京都市上京区 堀川通 今出川上ル東入実相院町145-4
TEL : 075-451-5777
2012年10月15日
建物、まちづくりを通じて作っているもの
株式会社ローバー都市建築事務所~第1回
~事業内容をお教えください~
建築の設計事務所です。例えばお住まいやお店とか
オフィスなどの建物の設計と監理をメインとさせてい
ただいてます。それに伴う不動産の仲介斡旋、資産
活用、建物コンサルティングなど、広い意味において
はまちづくり、主に建築建物のまちづくりを通じて人々
の幸せのお手伝いをさせていただいてます。
~ホームページにある実績の中で調査鑑定業務というのが
あったのですが・・・・~
裁判所や弁護士から係争案件にかかる建物に関す
る評価をいただきたいという依頼があります。私自身
法学部出身ということもありまして、このような事業を
される一級建築士が少ないという中で業務としてさせ
ていただいてます。
~この業務は貴社の強みになるのですね~
そうですね。また、個人のお客様から自宅やマンション
に関する調査というのもあります。
~ホームページや資料を見ていると和洋関係なくおしゃれな
建物が多いですよね~
地域性やお客様のご希望や用途を鑑みて建物のデザインは
考えていくのですけども広い意味で京都の文化、日本の文化
を現代にもっと発信していければいいなという意味合いも

京都は長年培われた良い
ものが周りにあふれてます
ので、日本人が忘れかけて
いる良さ、大切さを建物を
通じて提供していければい
いなと思ってます。
それは必ずしも和風という
ことではなく、精神的な良さ
であったり、両親を大切に
思うことであったり、きっちり
とお客様の幸せを提供していこうことですね。
~経営理念がしっかり言葉一つ一つまでその意味を
明確にされ、充実してますが、こういった経営理念や
設計指針の構築はいつ、どのような経緯から描かれ
たのですか~
創業して2年のときに桃山学院大学名誉教授の片岡先生
の話を聞いたのがきっかけです。片岡先生は企業におけ
る経営理念の大切さを研究されていてました。その先生の
お話しは
「うまくいっている大きい会社には必ず経営理念がある。
経営理念がないからといって、うまくいかないというの
ではないが、ない会社というのは大きくならない」
というようなお話でだったんですね。ですので、立派に社会
に貢献できる会社と言うのは経営理念がきっちりとあること
から、我が社も社会のお役にたてる会社になるには経営理
念がいるんだなと思って、ずっと1年くらい考えていました。
ただ、経営理念と言うのは1回決めると明日から変えると
いうわけにはいかないですから、ずっと考えてたんです。
我が社の経営理念の中には大きく3つが柱があります。
1つ目は建物、まちづくりを通じて作っているものは形で
あったり、空間であったりするんですけれども、実は作って
いるのはその人の人生であったり幸せであったり、豊かさ
であったり、そういった人々の幸せになるための形を
作っているのです。
2つ目はクライアントだけでなく社会全体を豊かにすると
いうことです。そして3つ目は自らを向上していくことに
よってお役に立つということです。
経営理念
「私達は、自らを高め、都市建築をとおして、
全ての人々の物心両面の幸福を追求すると同時に
豊かな社会の発展に貢献します。」
~ローバーという社名にも思いが詰まっているんですよね~
ローバーには2つ意味があるんです。
1つは(出身でもある)同志社大学を作った新島襄にち
なんだ名前(※1)、もう一つはボーイスカウトをやって
ましたので、その中にあるローバーリングからとりました。
(※2)
ローバーリングというのは自らを高めて社会に奉仕をしましょう、
恩返しをしましょうという理念のこといいます。
ボーイスカウトは社会奉仕の団体ですので小さい時はごみ拾いや
募金活動等の社会奉仕活動をするのですけど、ごみ拾いや募金
活動できる量としては限界があります。しかし、大人になって仕事
を通じると、たくさんのことで社会へ奉仕できます。
自分たちを高めて、建物、まちづくりという形を通して、人々を幸せに
するという思いから3つのステップの経営理念につながっているん
です。
(株式会社ローバー都市建築事務所ホームページより)
※1
同志社大学創立者 新島襄は1864(元治元)年、函館より
米船ベルリン号にて上海へ出国。その後、上海で乗り換え
た船が「WILD ROVER」号です。新島襄は翌1865(慶応元)
年7月ボストンに到着し、「WILD ROVER」号船主ハーディー
夫妻の援助をうけ、フィリップス・アカデミーに入学することに
なります。帰国後、1875(明治8)同志社英学校を設立。
その後の同志社大学へとつながっていきます。
※2
世界的な青少年活動組織ボーイスカウトの創始者、
ベーデンパウエル郷がローバースカウト(成人)のために
書いた「幸福になる道」を示す手引書
「Rovering to Success」にちなみ命名
【倫理法人会との出会いは 第2回へ つづく】
株式会社ローバー都市建築事務所
http://www.rover-archi.com/
京都市上京区 堀川通 今出川上ル東入実相院町145-4
TEL : 075-451-5777
2012年10月14日
マニュアルを越えたところに感動がある
6年前、経営品質を勉強する機会があったときに
学んだ素材です。この話もいろんなところで
語り継がれてますが、話が細部のところで微妙に
異なっているのは、講演される方が感動させるために
話に色をつけられているのかもしれませんね(笑)
東京ディズニーランドにある若い夫婦が来ました。
ディズニーランドランド内のレストランで彼らは
お子様ランチを注文しました。
ディズニーランドランド内のレストランのお子様ランチは
9歳 以下とメニューにも書いてあります。
子供のいないカップルにはマニュアルではお断りする
種類のものです。当然、
「恐れ入りますが、ここのメニ ューにも書いておりますが、
お子様ランチはお子様用ですし、大人には少し物足りないか
と思われますので・・・・・」というのがマニュアルです。
しかし、アルバイト(キャスト)は、マニュアルから一歩
踏み出して尋ねました。
「失礼ですが、お子様ランチは誰が食べられるのですか?」
「死んだ子供のために注文したくて」奥さんが答える。
「亡くなられた子供さんに」とキャストは絶句しました。
「私たち夫婦は子供がなかなか産まれませんでした。
求め続けて求め続けてやっと待望の娘が産まれましたが、
体が弱く一歳の誕生日を待たずに神 様のもとに召されたのです。
私たち夫婦も泣いて過ごしました。子供の一周忌に、
いつかは子供を連れて来ようと話していたディズニーランドに
来 たのです。
そしたらゲートのところで渡されたマップに、ここにお子様ランチが
あると書いてあったので思い出に・・・・」
そう言って夫婦は目を伏せました。
キャストのアルバイトは
「そうですか。では、どうぞ召し上がってください」と応じました。
そして「ご家族の皆さま、どうぞこちらのほうに」と
四人席の家族テーブルに夫婦を移動させ、
それから子供用のイスを一つ用意しました。
そして
「子供さんはこちらに」
とまるで亡くなった子供が生 きているかのように小さなイスに
導いたのです。しばらくして運ばれてきたのは三人分の
お子様ランチでした。
キャストは「ご家族でごゆっくりお 楽しみください」と挨拶して、
その場を立ち去りました。若い夫婦は失なわれた子供との
日々をかみしめながら、お子様ランチを食べました。
このような行為はマニュアル破りの規則違反です。
しかし、東京ディズニーランドでは先輩も同僚も彼の
行動はとがめません。
それどころか彼の行為はディズニーランドでは賞賛されるのです。
マニュアルは基本でしかありません。それを越えるところに
感動が潜んでいるのです。
この出来事に 感動した若い夫婦は、帰宅後に手紙を書きました。
「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。まるで
娘が生きているように家族の団らんを味わいました。こんな娘
との家族団らんの体験 を東京ディズニーランドでさせていただくとは、
夢にも思いませんでした。
これから、二人で涙をふいて生きてゆきます。また、二周忌、三周忌に
娘 を連れてディズニーランドに必ず行きます。
そして、私たちは話し合いました。今度はこの子の妹か弟かを連れて
きっと遊びにゆきます」
2012年10月12日
「一度限りの人生だから」
昨日の京都市中央倫理法人会第561回モーニングセミナーの
講話は福井みすや針本舗 京都市倫理法人会 監査の
福井三千子さんでした。

西陣織の帯屋さんの7人兄弟姉妹の5番に生まれ、
学生時代はテニスに明け暮れたそうです。
そして大学3回生の時には全国大会で優勝、日本一に
なり、その後も国体の京都府代表選手としても7回
選ばれたという経歴をお持ちです。
そんなテニスに打ちこめたのもお父様と
「結婚はお父様が決めたところへ嫁ぐ」ということを
お約束されていたからだったのでした。
そして嫁いだ先が400年以上続く老舗の福井みすや針本舗。
現在息子さんが18代目を継いでおられるそうです。
倫理との出会いは45年前、家庭倫理の会が近所にあった
こととお姑さんとうまくやっていきたいという気持ちから
入会されたそうです。
お子様は5人おられるそうですが、2人目のお子様の前に
倫理と出会い、無痛分娩をされたそうです。

倫理は実行に結びつかないと何もならないとおっしゃられる
福井さん。そのルーツは学生時代のテニス部のころから
あったそうです。
それがトイレの掃除。
コートを使用する前に近くのトイレの掃除をされていたそうです。
それは学校のコートだけでなく、あちこちの会場でも実行されて
いたそうですが、トイレの掃除をしていると何かツイている気が
したのです。それが試合でのサーブやスマッシュでのオンライン
だそうです。そんなぎりぎりのショットが決まったりするときに
ツイているを実感したことが元にあったようです。
倫理法人会の富士研の特別講師で講演されたイエローハット
の鍵山秀三郎さんとの出会いやその後の「日本を美しくする会」
での神社やお寺、学校のトイレの掃除はそんな背景からずっと
倫理の実行に結びついていたのかもしれません。

人生は人、世のためになる、いかに人を喜ばしてきたかだけの
こと、喜ばしてきただけしかないといわれる福井さん。
人生一度限りだからこそ真剣勝負。
大自然のそろばんに狂いはなく、大自然の原理原則を
知り、計算は天に任せ、人、世を喜ばせることをすれば
必ずやっただけのことは返ってくる。自分なりの倫理の
実行をしましょうと私たち若い世代に力強いメッセージを
送ってくださりました。
まだまだ私たちよりもパワーも迫力もあり、そして笑顔が
素敵なその様子は素敵な人生を歩んでこられた証拠なの
だなと感じながらも身が引き締まる思いでありました。
講話は福井みすや針本舗 京都市倫理法人会 監査の
福井三千子さんでした。
西陣織の帯屋さんの7人兄弟姉妹の5番に生まれ、
学生時代はテニスに明け暮れたそうです。
そして大学3回生の時には全国大会で優勝、日本一に
なり、その後も国体の京都府代表選手としても7回
選ばれたという経歴をお持ちです。
そんなテニスに打ちこめたのもお父様と
「結婚はお父様が決めたところへ嫁ぐ」ということを
お約束されていたからだったのでした。
そして嫁いだ先が400年以上続く老舗の福井みすや針本舗。
現在息子さんが18代目を継いでおられるそうです。
倫理との出会いは45年前、家庭倫理の会が近所にあった
こととお姑さんとうまくやっていきたいという気持ちから
入会されたそうです。
お子様は5人おられるそうですが、2人目のお子様の前に
倫理と出会い、無痛分娩をされたそうです。
倫理は実行に結びつかないと何もならないとおっしゃられる
福井さん。そのルーツは学生時代のテニス部のころから
あったそうです。
それがトイレの掃除。
コートを使用する前に近くのトイレの掃除をされていたそうです。
それは学校のコートだけでなく、あちこちの会場でも実行されて
いたそうですが、トイレの掃除をしていると何かツイている気が
したのです。それが試合でのサーブやスマッシュでのオンライン
だそうです。そんなぎりぎりのショットが決まったりするときに
ツイているを実感したことが元にあったようです。
倫理法人会の富士研の特別講師で講演されたイエローハット
の鍵山秀三郎さんとの出会いやその後の「日本を美しくする会」
での神社やお寺、学校のトイレの掃除はそんな背景からずっと
倫理の実行に結びついていたのかもしれません。
人生は人、世のためになる、いかに人を喜ばしてきたかだけの
こと、喜ばしてきただけしかないといわれる福井さん。
人生一度限りだからこそ真剣勝負。
大自然のそろばんに狂いはなく、大自然の原理原則を
知り、計算は天に任せ、人、世を喜ばせることをすれば
必ずやっただけのことは返ってくる。自分なりの倫理の
実行をしましょうと私たち若い世代に力強いメッセージを
送ってくださりました。
まだまだ私たちよりもパワーも迫力もあり、そして笑顔が
素敵なその様子は素敵な人生を歩んでこられた証拠なの
だなと感じながらも身が引き締まる思いでありました。
2012年10月06日
生かされている命に感謝!と「ろうそくの火」
昨年(2011年)の春のお話です。
クライアント先の新入社員研修の講師を仕事でするのですが、
この年、初めて高卒新卒に向けた新入社員研修の講師を
受け持ちました。
初日、顔を見ると、やんちゃそうな子から大人しい子まで
バラエティあふれる顔ぶれでした。
この年はもちろん忘れてはならない東日本大震災の年です。
新入社員研修の1か月前に起こりました。そして、その直後に
開催された春の選抜高校野球ではこんな選手宣誓が
創志学園 野山主将の選手宣誓です。彼の言った
「生かされた命に感謝して」という言葉に涙が出てしまいました。
それは私が医者からいつ死んでもおかしくないと言われ、
初めて死を意識し、死に対する恐怖を覚え、生きることへの
執着心が強く出てきた時、生きることの意味を真剣に考え、
気づいたのがこの「生かされた命」だったのです。
それから生きること、仕事をすること、家庭のこと、いろいろ
考えることとなり、サラリーマンを辞め、独立することとなった
のですが、選手宣誓の文言を誰が考えたのかわかりませんが
まだ17歳である野山主将がこの言葉の意味を理解し、発した
ことにある意味、本当に生きることの意味を知るきっかけを
得たのではないかと思ったのです。
それは仕事というある目的に対して時間を費やすことも
命を使うことであり、その意味を理解してもらうために
新入社員研修でこの動画を見てもらいました。
それまでの新入社員研修では私は人生を梅田にある(あった)
動く歩道に喩えて「生かされている命」と機会(チャンス)を
掴み、人生を切り開くことをお話ししていました。
この高卒の子たちにもこの動画の後、その動く歩道に喩えて
生きること、生かされている命について話をしていました。
すると、一番やんちゃそうに見える新入社員の子が私に
「それろうそくの火やろ」というのです。
私は彼にその意味を教えてほしいと言いました。彼は
このように説明してくれました。
火は命で、ろうそくの長さがその人の寿命です。
神様がろうそくに火をともした瞬間、その人の人生が始まる
のです。ろうそくがなくなり火が消えるまで人は生きるのです。
でも途中で、火を消したりする人もいますが、神様が灯した火は
大切にしないといけないのです。
だから「生かされた命に感謝」するのは神様でしょ
私は思わず、「誰に教えてもらったの?」と言ってしまいました。
彼は
「父親が話してくれました」と。
私は心打たれました。
彼の見た目はそこそこやんちゃをしてきたように見えます。
そして実際、やんちゃをしてきたようです。
それでも、彼は父親の職業(運送業)と同じ道を歩もうとしています。
いまどきの親と言ってしまうと乱暴かもしれませんが、私と同じような
世代であるかもしれない父親が自分の息子に命、生きることの
大切さをしっかりと伝えていること、そしてそんな話をできる
素敵な関係にあるというところに感動しました。
時は自分の力でコントロールすることもなく、流れていきます。
私たちは自分の力で生れてきたのではありません。しかし、
今ここにいます。
誰かがこの世に私たちを生かしてくれたことに意味があるか
どうかは自分自身で考え、見つけなればなりません。
そんな素敵な機会をいただき、今ここに生きていることが
素晴らしいことなのだと思います。
だからこそ、生かされた命に感謝だと私は思ってます。
この命を生かした主体はわかりません。神様なの仏様なのか
それは自らが信じるところでいいかと思います。
大事なのは今ここに生かされ存在していることに感謝し
自分たちが生きる命のどんな価値を見出すかだと思います。
それを理解した者だけが仕事でも家庭でも遊びでも
自分の命をどう懸けるかを知っているのだと思います。
今年入会させてもらった倫理法人会もきっとその意味を
自ら気付かせてくれるきっかけなのだと思います。
今どきの若い奴・・・・そんな彼らに再度気づかせてもらった
昨年の新入社員研修でした。感謝!
クライアント先の新入社員研修の講師を仕事でするのですが、
この年、初めて高卒新卒に向けた新入社員研修の講師を
受け持ちました。
初日、顔を見ると、やんちゃそうな子から大人しい子まで
バラエティあふれる顔ぶれでした。
この年はもちろん忘れてはならない東日本大震災の年です。
新入社員研修の1か月前に起こりました。そして、その直後に
開催された春の選抜高校野球ではこんな選手宣誓が
創志学園 野山主将の選手宣誓です。彼の言った
「生かされた命に感謝して」という言葉に涙が出てしまいました。
それは私が医者からいつ死んでもおかしくないと言われ、
初めて死を意識し、死に対する恐怖を覚え、生きることへの
執着心が強く出てきた時、生きることの意味を真剣に考え、
気づいたのがこの「生かされた命」だったのです。
それから生きること、仕事をすること、家庭のこと、いろいろ
考えることとなり、サラリーマンを辞め、独立することとなった
のですが、選手宣誓の文言を誰が考えたのかわかりませんが
まだ17歳である野山主将がこの言葉の意味を理解し、発した
ことにある意味、本当に生きることの意味を知るきっかけを
得たのではないかと思ったのです。
それは仕事というある目的に対して時間を費やすことも
命を使うことであり、その意味を理解してもらうために
新入社員研修でこの動画を見てもらいました。
それまでの新入社員研修では私は人生を梅田にある(あった)
動く歩道に喩えて「生かされている命」と機会(チャンス)を
掴み、人生を切り開くことをお話ししていました。
この高卒の子たちにもこの動画の後、その動く歩道に喩えて
生きること、生かされている命について話をしていました。
すると、一番やんちゃそうに見える新入社員の子が私に
「それろうそくの火やろ」というのです。
私は彼にその意味を教えてほしいと言いました。彼は
このように説明してくれました。
火は命で、ろうそくの長さがその人の寿命です。
神様がろうそくに火をともした瞬間、その人の人生が始まる
のです。ろうそくがなくなり火が消えるまで人は生きるのです。
でも途中で、火を消したりする人もいますが、神様が灯した火は
大切にしないといけないのです。
だから「生かされた命に感謝」するのは神様でしょ
私は思わず、「誰に教えてもらったの?」と言ってしまいました。
彼は
「父親が話してくれました」と。
私は心打たれました。
彼の見た目はそこそこやんちゃをしてきたように見えます。
そして実際、やんちゃをしてきたようです。
それでも、彼は父親の職業(運送業)と同じ道を歩もうとしています。
いまどきの親と言ってしまうと乱暴かもしれませんが、私と同じような
世代であるかもしれない父親が自分の息子に命、生きることの
大切さをしっかりと伝えていること、そしてそんな話をできる
素敵な関係にあるというところに感動しました。
時は自分の力でコントロールすることもなく、流れていきます。
私たちは自分の力で生れてきたのではありません。しかし、
今ここにいます。
誰かがこの世に私たちを生かしてくれたことに意味があるか
どうかは自分自身で考え、見つけなればなりません。
そんな素敵な機会をいただき、今ここに生きていることが
素晴らしいことなのだと思います。
だからこそ、生かされた命に感謝だと私は思ってます。
この命を生かした主体はわかりません。神様なの仏様なのか
それは自らが信じるところでいいかと思います。
大事なのは今ここに生かされ存在していることに感謝し
自分たちが生きる命のどんな価値を見出すかだと思います。
それを理解した者だけが仕事でも家庭でも遊びでも
自分の命をどう懸けるかを知っているのだと思います。
今年入会させてもらった倫理法人会もきっとその意味を
自ら気付かせてくれるきっかけなのだと思います。
今どきの若い奴・・・・そんな彼らに再度気づかせてもらった
昨年の新入社員研修でした。感謝!
2012年10月05日
私の会社は夢を売ってる会社である
先週の9月26日(水)に(株)京応保険設計 会議室にて
京都市中央倫理法人会特別ナイトセミナーが開催されました。
講師は(株)エイジアングリーン 代表取締役で
京都市中央倫理法人会 幹事 粟山 智也さんでした。
テーマは「倫理と自分と軸」と題し、愛されるお店作りを行う
ために、自らと従業員をどのように持っていくか、お客様に
長くご愛顧いただくためには、どのような心構えと行動を
とっていけば良いのか、ご自身の経験を踏まえて、そして
倫理観が、私にとってどういった軸として存在しているか
についてお話しして下さいました。

実は広報担当の私は仕事の都合で行けず、講演内容に
ついては北舎専任幹事がレポートして下さいました。
そのレポートに基づいて、ご報告させていただきます。
粟山さんは太秦でインド料理のダルマサラを営業されてます。
そのお店を通じて彼の思いやお考えになっていることが
この講演でお話しされたようです。
粟山さんは自らの仕事を天職であるとお話になられました。
そして、スターバックス社創業者ハワードビーバーのお言葉を
引用して、「私の会社は夢を売ってる会社である」と宣言されました。
太秦の大映通り商店街という決して飲食としての立地条件が
よくない環境で安定した売り上げを創業以来達成している秘訣は
偶然が生み出したものではなく、緻密に計算されたものでした。

人間は生活の中で3つの居場所を求めている。
・家庭
・職場
そして3つ目の居場所が部活や「地域」。
人間はその3つの居場所に帰属したいという欲求を持っていて、
粟山さんはその3つ目の部活や地域という居場所と同様の役割を
自らのお店も果たさすことで、お客様の居場所を作ろうと考えて
おられました。
接客にも徹底して考え抜いておられて、1回目に来店される場合と
2回目に来店される場合と3回目に来店される場合で対応を
全て変えておられます。
1回目はお客様の50センチ以内には近づかずに、安心感を
与えるとのことでした(特に女性には必要とのことです)。
次に、2回目に来店された際は1回目に来店されたシチュエーションを
お話し、相手に信頼感を与えることから始めます。その際に初めて
お客様のお名前を聞くのです。これにより、お客様は信頼されて
心を開かれます。

そして、3回目にはお客様との距離をひそひそ話ができる距離まで近づく
(具体的には15センチ)ことで、お客様に常連になっていただくのです。
この結果、お店のお客様は95%が女性で、そのうち80%のリピート率を
実現しました。
しかし、これらは、飲食業界では基本で、スターバックスではこのような
理論に基づいた教育がなされてます。ただ、粟山さんの素晴らしさは
その基本を忠実に行っており、基本を大切に日々の業務に取り組んで
おられるのです。
また、飲食店は「単価×客数」で売上げが決まるところ、席数とい
う制約の中、通常は、1日の回転数を上げることに意識が集中する
ところ、回転数を1日というスパンで考えないで、1年で考えることで
対応しているようでした。
つまり、1日の回転数を考えるのではなく、来店頻度を上げることで
カバーするという発想の転換をとっているのです。
倫理に関しては、社員教育の一環として、「職場の教養」を使って、
シュミレーションや朝礼を行っておられます。また、信頼していた社員が
退職し、悩んでいた時に、「運命自招」という万人幸福の栞記載されている
内容に救われたそうことです。
飲食店は立地が重要といわれる中、いかに顧客の心を繋ぎとめ、
リピーターになってもらえるかを実践されている粟山さんの講演でした。
【お店情報】
京都市右京区太秦堀ケ内町30番地の47
ダルマサラ太秦店
http://dal-masala.com/
TEL075-354-6992
京都市中央倫理法人会特別ナイトセミナーが開催されました。
講師は(株)エイジアングリーン 代表取締役で
京都市中央倫理法人会 幹事 粟山 智也さんでした。
テーマは「倫理と自分と軸」と題し、愛されるお店作りを行う
ために、自らと従業員をどのように持っていくか、お客様に
長くご愛顧いただくためには、どのような心構えと行動を
とっていけば良いのか、ご自身の経験を踏まえて、そして
倫理観が、私にとってどういった軸として存在しているか
についてお話しして下さいました。
実は広報担当の私は仕事の都合で行けず、講演内容に
ついては北舎専任幹事がレポートして下さいました。
そのレポートに基づいて、ご報告させていただきます。
粟山さんは太秦でインド料理のダルマサラを営業されてます。
そのお店を通じて彼の思いやお考えになっていることが
この講演でお話しされたようです。
粟山さんは自らの仕事を天職であるとお話になられました。
そして、スターバックス社創業者ハワードビーバーのお言葉を
引用して、「私の会社は夢を売ってる会社である」と宣言されました。
太秦の大映通り商店街という決して飲食としての立地条件が
よくない環境で安定した売り上げを創業以来達成している秘訣は
偶然が生み出したものではなく、緻密に計算されたものでした。
人間は生活の中で3つの居場所を求めている。
・家庭
・職場
そして3つ目の居場所が部活や「地域」。
人間はその3つの居場所に帰属したいという欲求を持っていて、
粟山さんはその3つ目の部活や地域という居場所と同様の役割を
自らのお店も果たさすことで、お客様の居場所を作ろうと考えて
おられました。
接客にも徹底して考え抜いておられて、1回目に来店される場合と
2回目に来店される場合と3回目に来店される場合で対応を
全て変えておられます。
1回目はお客様の50センチ以内には近づかずに、安心感を
与えるとのことでした(特に女性には必要とのことです)。
次に、2回目に来店された際は1回目に来店されたシチュエーションを
お話し、相手に信頼感を与えることから始めます。その際に初めて
お客様のお名前を聞くのです。これにより、お客様は信頼されて
心を開かれます。
そして、3回目にはお客様との距離をひそひそ話ができる距離まで近づく
(具体的には15センチ)ことで、お客様に常連になっていただくのです。
この結果、お店のお客様は95%が女性で、そのうち80%のリピート率を
実現しました。
しかし、これらは、飲食業界では基本で、スターバックスではこのような
理論に基づいた教育がなされてます。ただ、粟山さんの素晴らしさは
その基本を忠実に行っており、基本を大切に日々の業務に取り組んで
おられるのです。
また、飲食店は「単価×客数」で売上げが決まるところ、席数とい
う制約の中、通常は、1日の回転数を上げることに意識が集中する
ところ、回転数を1日というスパンで考えないで、1年で考えることで
対応しているようでした。
つまり、1日の回転数を考えるのではなく、来店頻度を上げることで
カバーするという発想の転換をとっているのです。
倫理に関しては、社員教育の一環として、「職場の教養」を使って、
シュミレーションや朝礼を行っておられます。また、信頼していた社員が
退職し、悩んでいた時に、「運命自招」という万人幸福の栞記載されている
内容に救われたそうことです。
飲食店は立地が重要といわれる中、いかに顧客の心を繋ぎとめ、
リピーターになってもらえるかを実践されている粟山さんの講演でした。
【お店情報】
京都市右京区太秦堀ケ内町30番地の47
ダルマサラ太秦店
http://dal-masala.com/
TEL075-354-6992
2012年10月04日
今、私たちにできること~田中けんじのハチドリのひとしずくとは
今朝の京都市中央倫理法人会第560回モーニングセミナーの
講話は京都府議会議員、京都市中央倫理法人会副会長の
田中健志さんでした。

テーマは「いま、私たちにできること」
このテーマはハチドリのひとしずくという絵本から取られた
テーマであり、田中さんの議員として、個人としての行動指針
にもなっているお話です。そのお話はこちら
田中さんは国会議員の秘書時代に倫理法人会の講話の
お話がきたころ、半年の間にご両親がお亡くなりになり、
ご自身がどうすればいいか悩んでおられた時に、知人から
いただいた絵本がこの
「ハチドリのひとしずく いま、私にできること」
だったそうです。
この内容に感動された田中さんは、のちに後援会の名称も
ハチドリ会とされました。
また、そんなハチドリのような活動も実際の中で、行って
おられます。

府議会議員となってAEDの普及として京都府立46高等学校
に1台ずつ設置されたのですが、ある日、たまたま行った
高校の女子生徒に備え付けてあるAEDについて知ってるか
尋ねたところ「知らない」と返ってきました。
その状況から田中さんは実際の現場での運用状況を知り、
京都府立46高等学校の校長先生に一人ずつにアポイント
とってAEDの実態把握と啓蒙推進に回られました。

また、消防団にも入られている関係で防災には深い思いが
ある中で、行徳哲男先生から「野鴨の哲学」のお話を聞き、
感銘を受けたことから、東日本大震災前に中京区の
ハザードマップを作製配布されました。
現在は府議会の文教委員として活動されてますが、今年あった
亀岡の悲惨な通学路の事故を受けて、通学路の実態を
小学校の校長先生に聞き取りに回っている活動もされているようです。
特に学校教育では系統だった安心安全教育、危機管理の科目の
必要性を感じ、ハチドリのように今ご自身ができることとして
取り組んでいるおられてます。
一人一人が今、自分たちにできることを考え、行動する大切さは
東日本大震災の国民一人ひとりの行動、取り組みがまさにその
意味を教えてくれたのではないかという言葉で締めていただきました。
まじめでひた向きなお人柄の出た講話だなとつくづく実感しました。
講話は京都府議会議員、京都市中央倫理法人会副会長の
田中健志さんでした。
テーマは「いま、私たちにできること」
このテーマはハチドリのひとしずくという絵本から取られた
テーマであり、田中さんの議員として、個人としての行動指針
にもなっているお話です。そのお話はこちら
田中さんは国会議員の秘書時代に倫理法人会の講話の
お話がきたころ、半年の間にご両親がお亡くなりになり、
ご自身がどうすればいいか悩んでおられた時に、知人から
いただいた絵本がこの
「ハチドリのひとしずく いま、私にできること」
だったそうです。
この内容に感動された田中さんは、のちに後援会の名称も
ハチドリ会とされました。
また、そんなハチドリのような活動も実際の中で、行って
おられます。
府議会議員となってAEDの普及として京都府立46高等学校
に1台ずつ設置されたのですが、ある日、たまたま行った
高校の女子生徒に備え付けてあるAEDについて知ってるか
尋ねたところ「知らない」と返ってきました。
その状況から田中さんは実際の現場での運用状況を知り、
京都府立46高等学校の校長先生に一人ずつにアポイント
とってAEDの実態把握と啓蒙推進に回られました。
また、消防団にも入られている関係で防災には深い思いが
ある中で、行徳哲男先生から「野鴨の哲学」のお話を聞き、
感銘を受けたことから、東日本大震災前に中京区の
ハザードマップを作製配布されました。
現在は府議会の文教委員として活動されてますが、今年あった
亀岡の悲惨な通学路の事故を受けて、通学路の実態を
小学校の校長先生に聞き取りに回っている活動もされているようです。
特に学校教育では系統だった安心安全教育、危機管理の科目の
必要性を感じ、ハチドリのように今ご自身ができることとして
取り組んでいるおられてます。
一人一人が今、自分たちにできることを考え、行動する大切さは
東日本大震災の国民一人ひとりの行動、取り組みがまさにその
意味を教えてくれたのではないかという言葉で締めていただきました。
まじめでひた向きなお人柄の出た講話だなとつくづく実感しました。